仏陀記念館は2003年に着工式典を行い、2011年12月25日に竣工し一般公開された。
舎利とはサンスクリット語 śarīraの音写で一般に釈尊の遺骨をいい、それを安置した塔を舎利塔などと称する。また修道者が日々精進、成就した物の象徴でもある。
釈迦牟尼仏伝によると、仏陀は80才になったある日、自分の涅槃日を弟子に伝えた。弟子の阿難は「お釈迦様が入寂されたら、我々はどうすればよいか?」と質問すると、仏陀は「街の交差点に塔を建て、火葬した私の骨を塔内に供養し、皆が敬い慕うことができるようにしなさい。」と答えた。
星雲大師がインドの菩提伽耶国際三壇大戒を伝戒した際、チベットラマ僧 Kunga Dorje Rinpoche氏が「仏光山は長い間世界仏教漢蔵文化の交流を推進し、中華漢藏文化協会を設立し、世界佛教顕密会議を主催した。また国際仏光会を設立し、仏教を発揚する真の仏教道場だ」と感心し、30年近く守っていた仏歯舍利を星雲大師に贈った。
その想いを受けて大師は、その仏歯舎利を永遠に保存できるように仏陀記念館を建設することに至った。